「他人の欲望を生きる」から「自己充足」へ
年初めということで今年重要にしたい価値観について。
私のすすめる岩波新書「生きる意味」
年始にツイッターをみていたら,私のすすめる岩波新書 なるものが話題になっていた。岩波新書は基本的にしっかりとした内容のものである事が多いので,自分もそのリストとやらを見てみた。
頭の中にこのインデックスを張った状態で池袋の本屋で立ち読みをしていたら,上記のリストにあった「生きる意味」を見つけたのでざっと斜め読みをしてみた。正直買うのはなかなか勇気のいるタイトルである。
この本では,周りから与えられた物差しではなく,自分の好きなものを大切にして生きていくことが重要ではないかと説いている。 これまでは「みんなと同じ欲望をもち,みんなと同じ人生を目指す」という価値観が主流だった。この価値観でも,右肩上がりの経済成長時ではみんなが欲しがるものが自分も手に入ってきた(マイホームとか)のでそこまで問題になることはなかった。 しかし,経済成長は止まり,それがうまくまわらなくなってきている。 それゆえ,これからは,他人から与えられたな定められたものさしで物事の価値観を決めるのでなく(これを「他人の欲望を生きる」と表現している),自分の中に沸き起こる素直な好きの感覚を大切にして生きていくことがよいのではないかという話である。
ヒロキ君から前田君へ
「自己充足」というテーマを考えると,個人的には「桐島,部活やめるってよ」を語らずにはいられない。
高校生のカースト制的なところをうまく表している映画だが,この中のカーストの頂点にいる(運動もできるしイケメン。かつ誰とでも仲良く話せる優等生)ヒロキ君とカーストの底辺にいる(運動ダメ,女子からはキモいオタ扱い)前田君の対比が興味深い。
ヒロキ君はなんでもできるので難なく「他人の欲望を生きる」ことができる。だが,そこに自分の素直な欲望がないからなんとなくつまらない。対する前田君は映画部で周りには理解されない映画を周りに気にせず粛々ととっている。
映画の最後のシーンでヒロシ君が前田君にインタビューする場面がある。映画をとっているという前田君に対して,将来はアカデミー賞監督ですか?と聞くヒロキ君。それに対して,多分それは無理だとしつつ自分の好きなものと繋がっている感覚がなんとも言えないと恥ずかしそうに答える前田君。
推測だが,前田君にとっては自分の作った映画が他人にどう評価されるというのは2の次であって自分が自分の中の好きなものと繋がっている感覚が一番重要なのではないのだろうか。
「他人の欲望を生きる」ヒロキ君と「自己充足」している前田君という対比である。
ただ,映画もよくできていて,他人から見たら「自己充足」している前田君は決してかっこいいわけではないし,他人から羨まれる存在でもない。現実世界でそうであるように。
おわりに
内的幸福度というものは他人とは比較できない。
様々なものが数値化され,常に他者との比較に晒されている現代だからこそ,自分の中にある確かな自己充足の感覚をしっかりとつかんで日々の生活を送っていきたいものである。